記憶と現実 - 2022.08.26 Fri
故郷のスーパーマーケットの閉店を知る。
最後に訪れたのは高校生の時なので、4半世紀も行っていなかったが、店内のレイアウトまでありありと思い出せる。
「記憶の中にはしっかり存在している物が、現実にはもう無い」 こういう体験が10件や20件は簡単に思い浮かぶ。キチンとやればその倍以上あると思う。
こういうメンタリティだから、画に対するスタンスも、現実より記憶、現存よりも写真(存在した記録)が主軸となる。
これは同時に、「今」、「在る」という事の、尊さ、貴重さ、奇跡、でもあるんだけどね。
時の流れは不可逆だから、「今」とか「現実」って、自然と「記憶」になっていくのだから。
最後に訪れたのは高校生の時なので、4半世紀も行っていなかったが、店内のレイアウトまでありありと思い出せる。
「記憶の中にはしっかり存在している物が、現実にはもう無い」 こういう体験が10件や20件は簡単に思い浮かぶ。キチンとやればその倍以上あると思う。
こういうメンタリティだから、画に対するスタンスも、現実より記憶、現存よりも写真(存在した記録)が主軸となる。
これは同時に、「今」、「在る」という事の、尊さ、貴重さ、奇跡、でもあるんだけどね。
時の流れは不可逆だから、「今」とか「現実」って、自然と「記憶」になっていくのだから。